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6歳で来日、祖国でもガイジン 揺らいだ私のふるさと - 朝日新聞

<私は○○人>イラン出身 ナディさん

 「日本語が上手ですね」。東京都内のメーカーで働くナディさん(35)は12月、同僚とランチに出かけた店で店員の女性からこう言われた。

 6歳の時、両親と弟2人と一緒にイランから日本に来た。今では日本語が自分の言葉になり、考え方も日本的だと思う。それでも相変わらず見た目で外国人扱いされる。そのたびに伝えたいと思うメッセージがある。「日本はもう『日本人らしい日本人』だけが暮らす時代じゃない」。気持ちに余裕がある時は言い返せることもあるが、カチンときて言えないこともある。

 父親はイランの首都テヘランで祖父の代から続く雑貨店を営んでいた。しかし、イラン・イラク戦争の影響で経済が不安定になり、経営が悪化。一家は1991年、抱えた借金を返すために「出稼ぎ」で日本にやってきた。

 イラン人は当時、観光目的であればビザなしで3カ月間、日本に滞在できた。ナディさんの両親も観光客として入国。首都圏近郊のイラン人が多く集まる地域でアパートを見つけ、つてを頼って工場で働いた。

 早朝から夜遅くまで働きづめの両親に代わり、ナディさんが弟2人の世話をした。子どもながらに在留資格がないことを理解し、隠れるように過ごした。同時に、テレビで見た「ちびまる子ちゃん」の影響で、学校で勉強してみたいという思いがふくらんだ。ボランティアの日本語教室に通い、スピーチコンテストで「学校に行きたい」と訴えたことがきっかけで支援者が現れ、在留資格のないまま公立小学校の3年生に入った。

 「自分はどこの国の人なんだろう」。成長するにつれて、その問いに揺れるようになった。

 小学校高学年になると、イスラム教徒であることを意識し始め、学校のルールとの違いに悩んだ。「イラン人だからイスラム教のこともきちんとしたい」。先生に相談し、肌を露出しないように体育の時間にはブルマの代わりにジャージーを着ることや給食で豚肉を残すことを認めてもらった。学校でイランのことを質問されれば、イラン人代表のような気持ちになり、できるだけ答えられるように両親にイランのことを尋ねた。

 しかし、中学校ではその気持ち…

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December 31, 2019 at 03:00PM
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