一人ひとりの患者のがんの遺伝子の変化を調べて最適な治療薬を探す「がんゲノム医療」が、2019年6月に公的保険の下で始まった。検査後に投薬に至る確率を上げるために、慶応義塾大学などは次世代型のがんゲノム医療に取り組んでいる。他にも大学が独自開発した検査法などの開発が進む。自分のゲノムデータに基づいて治療薬を選ぶがん治療が本格的に広がる体制ができてきた。
宮城県に住む60歳代の女性は19年5月に、脳腫瘍の一種の悪性神経膠腫の診断を受けた。手術でがんを切除し、標準的な抗がん剤で治療を続けている。治療と並行して19年7月に慶大で、ほぼ全ての約2万種類の遺伝子を調べる次世代型のゲノム検査、「プレシジョン・エクソーム」を受けた。
同じ頃始まった公的保険が適用されるゲノム検査は、条件が合わずに受けられなかった。新検査は自由診療で費用負担は大きいが、幸い加入していた民間保険で検査代はカバーできたという。同検査で乳がんや腎臓がんに使う2種類の薬が効く可能性があるとわかり「安心した」と話す。
プレシジョン・エクソーム検査ではヒトの全遺伝子のうち、たんぱく質を作る約2万個の遺伝子が、がん細胞でどう変化しているかを正常な白血球と比べる。遺伝子を作る塩基の配列が変わる変異や、DNAの中に同じ遺伝子が繰り返し現れる回数の変化などを調べる。
がんは胃や肺、肝臓など発生する臓器ごとに使う抗がん剤が決まっている。だがゲノム(全遺伝情報)の研究が進み、同じ種類のがんでも患者の遺伝子の変化に応じて効く薬が異なることが分かった。
がん細胞で遺伝子がどう変化し、がんの増殖につながっているかは患者ごとに異なる。この変化を手掛かりに、患者ごとのがんの遺伝子の特徴を調べれば、最適な治療法を選べる。
19年6月に公的保険の下で2つの検査法が登場し、がんゲノム医療が動き出した。シスメックスと中外製薬の114~324種類の遺伝子を一度に調べる検査法で、費用は全体で各56万円だ。
ただがんが増える仕組みは複雑で、遺伝子の変化の仕方も多様。簡単には治療薬が見つからない。厚生労働省が19年12月に発表した調査では、同年6~10月末までに遺伝子検査を受けた805人のうちで、薬が見つかったのは88人(10.9%)だった。
公的保険の下でゲノムの検査を受けるのは、標準的な治療を一通り終えた患者がほとんどだ。検査する遺伝子の数が少ない上、未承認や保険適用外の薬の中から次の一手を探すため、薬が見つかる人は限られる。
慶大病院のプレシジョン・エクソーム検査は、治療薬を見つける確率を上げることを目指す。検査を始めた3月から12月中旬までに60人強の患者が検査を受けた。公的保険の対象外で、約100万円を患者が負担する。同病院のほか、聖マリアンナ医科大学病院や浜松医療センターなど、計5カ所の病院で検査を受けられる。
手術などで切除したがんの組織と血液中の正常な白血球からDNAを抽出して、がんだけが持つ遺伝子の変化を見つける。慶大の西原広史教授は「多数の遺伝子の変化を調べるため、治療に至る確率を上げられる」と期待する。
実際のDNAの抽出や解析は三菱スペース・ソフトウエア(東京・港)が専用装置で実施する。医師らは解析結果を基に、最適の治療法を患者に示し、治療を始める。DNAの抽出から患者への説明までに6週間かかるが、「今後、期間を半分程度まで縮めるめどがついた」(同社)という。
まだ治療に至った確率は集計していないが、「投薬につながる可能性がある遺伝子の変化が8割弱の患者で見つかった。従来の2倍程度だ」と西原教授は手応えを話す。
他にも、保険のゲノム検査を補う検査法が登場しそうだ。
国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)などは、患者のゲノムデータを使い、既存薬が使えるがんを増やす臨床研究や医師主導の臨床試験(治験)を急ピッチで進めている。がん細胞から出て血液中を漂うDNAの74個の遺伝子を調べる米ガーダントヘルス社の検査技術を活用。大腸や胃、食道がんなどの2千人超の患者で臨床研究を進めている。今後、計4千人まで調べる。
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