コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)の事故死から2日が経ったが、まだ哀しみを抜け出せずにいる。正直に言って、私は自分がここまで動揺するとは思っていなかった。コービーは毀誉褒貶の激しい人だった。特にキャリア序盤の自信過剰に映る言動は、熱狂的なファンと大勢のアンチを生み出した。私は、そんなアンチの一人だった。私のコービーへの感情は、「嫌い」から始まったのだ。
振り返ると、私のコービー嫌いのピークは彼がシャック(シャキール・オニール)と組んでスリーピートを達成した頃(2002年)だと思う。その後、嫌いという感情はだんだんと薄れていった。なぜならどんなに難癖をつけようと、コービーが自分の実力を証明し続けたからである。「あんなに自己中心的なプレイスタイルではチームを勝たせることなどできない」と思っていたのに、コービーはプロ入りからわずか4シーズンで頂点に立った。それでも「コービーが優勝できたのはシャックのおかげ」と強がっていたら、ご存知の通り、コービーは2009、10年とシャック抜きで連覇を達成した。
それからもコービーは、アキレス腱断裂の大怪我を負いながらフリースローを成功させたり、引退試合で60得点をあげたりと、伝説として語り継がれるだろう大仕事をやってのけた。特に引退試合の60点は奇跡のようにも感じられた。しかし、その頃にはコービーの自信は常人には真似できないようなハードワークに裏打ちされていることが知れわたっていたので、奇跡と一言で片付けるのはその価値を貶めるような気さえした。アンチだった私も、すっかりコービーに降参していた。諦めよう。コービーは常に批判の上を超えてくる……。
そのコービー・ブライアントの死に方がこれか。なんてコービーにふさわしくない死に方なんだ。アンチだった私がここまで落ち込む理由は、おそらくこれだろう。コービーはこれまで批判も、怪我も、スキャンダルだって乗り越えてきた。不屈の闘志と不断の努力があればなんだってできる。世界中のファンをそう勇気づけてきた。そのコービーの最期がこれでいいはずがない。その思いが拭えないのである。
コービーなら運行に支障の出たヘリコプターの中で、冷静であろうと努めただろう。パイロットや同乗者がパニックにならないように、落ち着かせようと試みただろう。いよいよ落下が始まった時、泣き叫ぶ愛娘ジアナの手を握っただろう。「パパがついてる、大丈夫だ」と呼び掛けただろう。そして心の中で、娘だけは助けてくれと神に祈っただろう――。
我々はコービーの闘志を、そして努力を知っている。娘のためならなんだってしただろうことを知っている。しかし、そのチャンスさえ与えられなかったコービーの無念を思い、私は泣いているのである。
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