大相撲の伝統を受け継ぐ各部屋には、それぞれに熱心なファンがいて、実に様々な形で声援を送ってくださる。いわゆるタニマチ的な意味でだけでなく、ご自分の趣味や得意を生かしてやってくださることが、修業時代の力士たちの心の支えや励みとなり、またそののちにはよき思い出に――。
長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。
地方準場所の記憶
たとえば写真。普段は何の注目も受けない、雑草のような力士にとって、わざわざ自分のスナップを撮って届けてくださった一枚が実にありがたい。照れながら受け取ったものが、その後の出世、不出世に関わらず生涯の宝となるのである。
私の所属する伊勢ノ海部屋にも、ありがたいそんなファンがいらっしゃったようだ。昭和30~40年代、女性のイラストレーターで、東京本場所のみならず、準・本場所を問わず大阪、名古屋、福岡へと足を運んでは、まめに稽古風景をカメラに収めてくださった。そんな写真が、先々代(元幕内柏戸)の部屋(両国)のアルバムにまとめられていた。カメラがまだ特殊技術とされていた時代ということもあって、つまりは部屋の歴史としても貴重な記録が残されているわけである。
理事長のリラックス法
前置きが長くなった。ここにご紹介するのは、昭和42(1967)年10月(大阪準本場所中)に撮られたスナップで、時津風部屋で行われていた一門の連合稽古風景(土俵が2面ある。右側が関取用、左側が若い者用)。何ゆえ“奇跡”かって? 関取用の土俵に向かい、四股を踏み始めている画面左方の人物に注目してほしい。
なんと、この人こそ、古今の大横綱といわれた元双葉山の時津風理事長なのである。日頃の激務の運動不足を解消するためであろうか、黒の木綿の稽古廻しを着けて土俵に降りてきたようだ。このあと若い衆をつかまえて相撲を取ることはなかったそうだが(当時、この稽古場に現役時代の前師匠=元関脇藤ノ川もいた)。現役引退から22年が経ったとはいえ、胸や肩、腰の肉づきの立派さはさすがである。全体的に小さくはなっているが、そのバランス、体に帯びたまるみに変わりはない。
ただこの写真の軸足を見るとふくらはぎの筋肉のたくましさが異常なまでに目立つ。現役時代の鍛錬のすごさは隠しようがないということだと思う。
それにしても、このとき撮られた一連の写真を見ると、、右側の関取衆の表情や背中からは、双葉山を意識した緊張感が感じられるのに対して、左側の若者たちにはあまりそんな意識はないようだ。師匠だとか、あの双葉山だ!とか、ハプニングだとかといったことではなく、理事長のリラックスタイムだからという理解のためだろうか、のどかですらある。
東京の双葉山道場の稽古場における時津風理事長の威厳のすごさ(その足音がしただけで、咳払いひとつしただけで、稽古場にピーンとした緊張感が張りつめ、シーンとなった…)は、伝説的エピソードに事欠かないが、このときばかりは、巡業的な地方準場所ということもあって、緩やかな時が流れていたのだろう。
語り部=浅坂直人(元伊勢ノ海部屋力士・雪光山。現伊勢ノ海部屋マネジャー)
月刊『相撲』平成29年9月号掲載
相撲編集部
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