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母が闘病中に、私の妊娠が判明。「生まれるまで死ねへんなぁ!」と頑張ってくれて、ありがとう - 朝日新聞社

全国農業協同組合連合会(全農)では、新型コロナウイルスによる大きな影響を受けた花の生産者を支援する取り組みを行っています。その一環として、連載「花のない花屋」にご協力いただきました。

あなたの「物語」も、世界で一つだけの花束にしませんか? エピソードの応募はこちらから。

吉川佳江さん 40歳 女性
京都府在住
主婦

    ◇

私の母は、2019年11月14日、75歳でこの世を去りました。末期の肺がんと分かってから、約1年……あっという間でした。私には後悔し続けていることがあります。

母が肺がんと診断されたのは、2018年の夏。その時既にステージ4でした。いま思えば急激に痩せたので兆候がありましたが、大きな病気をしたことのない母が……と、私は毎晩泣き続けました。それで当時2歳半の長女がストレスから吃音(きつおん)の症状が出てしまい、もう母と娘の前では泣かないと、心に誓いました。

母は抗がん剤治療も、最初は「しんどいし、ええわ」と拒否しました。しかし父、兄2人と私は、少しでも希望があるならと、抗がん剤治療を受けるよう懇願しました。

「もうお母さん疲れたわ」という言葉に胸が痛みました。母が一番つらくて苦しいのに、そんな言葉聞きたくない、母の前で泣きたくないという思いから、「弱音吐いたらあかん!」といつも聞き流していました。

そんな中で、2018年11月27日、ちょうど長女の3歳の誕生日に、私の第2子妊娠が分かりました。母に伝えると「ほな、生まれるまで死ねへんなぁ!」と少し元気になってくれたように感じました。

私は長女を妊娠中、切迫流産の危険があったため、実家に戻りほぼ寝たきりで過ごしました。その間、母に頼りっきりでした。今回も切迫流産の危険がありましたが、さすがに実家には頼れず、自宅で安静に過ごすことに。ところが母は抗がん剤治療を止めて毎週のように、私の自宅まで来てくれて、身の回りの世話を焼いてくれたり、長女の面倒を見てくれたりしました。ズボンがブカブカになり、杖がないともう歩けなくなっていたのに……。

2019年7月17日、次女が誕生。母も長女と一緒に病院へ駆けつけてくれました。新しい命の誕生に触れれば、母もまた生きる気力が湧いてくるかも。そんな期待がありました。

次女が生まれてからは、私と長女の3人で、毎週のように実家へ顔を出しました。しかしその頃から、母は「お墓は大きくなくていい」「ハンコの場所はここや」といったことを話してくるようになりました。母の死んだ後の話なんて聞きたくない。私は「そんなこと、いいって」とはぐらかしていました。

それから何日か経ってから母の容体が悪化。布団から出られないまでになってしまいました。それでも私はまだ死なないで!という思いから、このときも「頑張れ!」と声を掛けてしまいました。

しかし突然かかりつけの病院から連絡があり「緩和ケアに移行してください」と告げられました。緩和ケアということはもう長くないのだろうか。不安の中で入院できる緩和ケア病棟を探しました。入院を検討していた緩和ケア病棟の医師に、母の血液検査の結果を渡すと、「あと1週間もちません。明日にでも入院させてください」。唐突に聞かされた余命に驚き、涙が止まりませんでした。

やっと入院できた翌日、息を引き取りました。

母の友人からは「娘が2人目を産むまでは絶対死なへん」と頑張ってたんやで!と聞かされ、私は母の強さを思い知りました。それと共に、母の病気のつらさに寄り添えなかったことをいまだに後悔しています。母が「しんどいわ」といったら、「そうやな、しんどいな」と、気持ちを共有すればよかった。

亡くなる数時間前、私が母の手を握り「何もしてあげれんでごめんな」と言うと、もう話すことができなかった母は、首をかすかに横に振ってくれました。母は花が好きで、庭には花があふれていました。花で感謝を伝えたいです。

母が闘病中に、私の妊娠が判明。「生まれるまで死ねへんなぁ!」と頑張ってくれて、ありがとう

≪花材≫アスター、マトリカリア、ヒペリカム、ネリネ、カーネーション、リンドウ、ナデシコ、バラ、アマランサス、多肉植物、ドラセナ

花束を作った東さんのコメント

ご実家の、彩り豊かだったであろう庭をイメージして束ねました。使用したのはめずらしい花ではなく、リンドウやマトリカリア、ナデシコといった、この季節によく見かけるような花たち。巻き付いているのはケイトウのアマランサスというお花です。モコモコしているので、だんだん涼しくなっていく今の時期にピッタリだと思い、使用しました。ユリのつぼみも入っています。水をあげてもらえれば咲いてきますので、変化を楽しんでいただければ。花束の色合いを全体的に明るくしたので、今回の器はいつもと趣向を変えて、白の陶器を使いました。花々の色が際立ちます。天国のお母様に届きますように。

花のない花屋

花のない花屋

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花のない花屋

(写真・椎木俊介)

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    「&w」では、読者のみなさまから「物語」を募集しています。
    こんな人に、こんな花を贈りたい。こんな相手に、こんな思いを届けたい。
    花を贈りたい人とのエピソードと、贈りたい理由をお寄せください。毎週ひとつの物語を選んで、東さんに花束をつくっていただき、花束は物語を贈りたい相手の方にプレゼントします。その物語は花束の写真と一緒に&wで紹介させていただきます。
    詳しくは応募フォームをご覧のうえ、お申し込みください。

    フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

    母が闘病中に、私の妊娠が判明。「生まれるまで死ねへんなぁ!」と頑張ってくれて、ありがとう

    1976年生まれ。
    2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
    近著に作品集「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERS Ⅳ 植物図鑑」(青幻舎)など。

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    PROFILE

    椎木 俊介(写真)

    ボタニカル・フォトグラファー

    2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

    2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。

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