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さよなら私の胚盤胞 40歳、不妊治療をやめた - 朝日新聞社

写真家・石野明子さんが30代半ばにして家族3人、スリランカへ移住してすぐの日々を描いた&wでの連載「スリランカ 光の島へ」の続編「スリランカ 光の島の原石たち」が始まります。移住して4年。光の島で見つけた、宝石のようにきらめく物語を、石野さんが美しい写真と文章で綴(つづ)ります。第1回は、石野さんが長年日本で保管していた自身の胚盤胞(はいばんほう)を廃棄し、新しい一歩を踏み出すまでの物語です。

     ◇

スリランカへ家族で移住してからも、ずっと日本でお守りのように保存していた胚盤胞があった。今年、それを廃棄する決意をした。

「胚盤胞」という言葉、現在不妊治療をしている人、そして経験したことのある人にとっては、つらい治療の中での一縷(いちる)の光だと思う。体外受精した受精卵を数日培養した状態のことで、ここまで育ててから子宮に戻すと着床率が高くなる。だけどすべての受精卵が胚盤胞まで育つとは限らない。そして不妊治療のスタートから体外受精にたどり着くまでも、とてもとても長い道のり。

当人たちにとって胚盤胞ができたということは、「奇跡」にも近い感覚なんじゃないだろうか。もちろん私にとっても。

私たちの「胚盤胞リスト」からは、2015年、元気な女の子が生まれてきてくれた。(最初の胚盤胞による妊娠は子宮外妊娠で生死の境をさまよったことは前回連載の第1回に記した)

さよなら私の胚盤胞 40歳、不妊治療をやめた

娘が1歳を過ぎた2016年、フォトグラファーとしてスリランカで挑戦するという夢をかなえるため、家族3人で移住した。スリランカでの日々は全てが刺激的で、目まぐるしく時が過ぎていく。

あっという間に、私は今年40歳になった。

プランはない でも“奇跡”を手放せない

気がかりだったのは、2012年からずっと日本で保管している胚盤胞のこと。毎年夏の一番暑い盛りに「(胚盤胞の)保管更新はどうしますか?」という、とても事務的な同意書入りの茶封筒が届く。更新か廃棄か、選んで返送するのだ。

もう手放してもいいとも思いつつ、友人たちの第二子の知らせを聞いたりしているうちにはっきりと答えが出せずにいた。

私たち夫婦は自然妊娠の可能性がほぼない。廃棄するということは第二子を持たないと決断することに等しい。そしてそれは、せっかく巡り合えた「奇跡」を捨てることでもあった。

夫は「僕は、娘が僕たちのところに来てくれただけでもう十分だよ。あとは明子が納得するまで考えて」と数年前から意見は変わらない。

私は具体的なプランもないまま、いつも「更新」に丸をつけていた。「いつだって私たちもそちら側にもいける可能性がある」と、心のお守りのように、持っておきたかったのだ。

「そちら側」――。それは“きょうだいがいる幸せ”な家族のこと。「子供は多い方が幸せ」「一人っ子はわがままになる」「親がいなくなったら孤独」などなど、これまで自分がたくさんそういう言葉を聞いてきたからだ。大好きな自分の祖母にも何度か言われた。

スリランカ

一人娘との毎日は偽りなくいとおしく、幸せを感じる。だからその言葉たちを「そんなことはないでしょうよ」と否定したいのに、どこかで「もしかしたら真実かも?」と考えてしまうことが、苦しい。自分が三姉妹の末っ子で、ケンカをたくさんしながらもにぎやかな子供時代を過ごせたこと、大人になってからは姉たちが良き相談相手になってくれていることもあるかもしれない。

私は、娘の「幸せ」を廃棄しようとしている? そして自分も、本当にあのふわふわな新生児をもう一度抱っこすることはなくてもいいの――?

“お守り”は年を経るごとに、だんだんと私の心に重くのしかかってくるようになっていた。

一人娘が気づかせてくれた、私の幸せ

最近は5歳になった娘を一緒に仕事先に連れて行くことも増えた。スリランカのガイドブックを作る際にはほぼ一緒にスリランカ中を回った。スリランカの公用語のひとつであるシンハラ語を理解できる彼女は、現場の雰囲気を和ませてくれることもある。自分も携帯カメラを持って一緒に撮影なんかもする。「ここから撮りたいからお母さんどいて」と言われたときは笑ってしまった。

一緒に撮影を楽しむ娘を見ていてふと、産後初めて仕事に復帰したときの感情を思い出した。育児の時とは違う緊張感、自分の感覚が戻ってきたという奮い立つような高揚感――。「ああ、やっぱり仕事が、写真を撮ることが大好きだ」という気持ちがわき上がってきた、あの瞬間を。

スリランカ 光の島の原石たち

娘のことは、もちろん大好き。だけどその二つは比べようがないもの。その両方があって私がある。もし第二子の不妊治療にトライするなら、長期的に日本に戻らなければならないし、時間もお金もかかるだろう。夢のためにスリランカへ移住し、挑戦を続けている今。この日々を一度中断できるか、と問われると「はい」と言えない自分がいた。

娘と一緒に動けることが増え、逆に私が娘と離れて1人で動くこともできるようになった今がとても楽しい。自分のやりたいことにまっすぐ集中できることもうれしい。他と比べることなく私たちの幸せを信じようと決めた。ドタバタしながらもスリランカで笑って過ごしている日々。それが一番の“幸せ”の証拠なのだ。

信じるべきことは

私は「こうあるべき」という幻想に囚(とら)われていたんだと思う。人生の物語はそれぞれ皆違う。誰かの幸せが他の誰かに当てはまるとは限らない。比べることはできないものなのに。

それに孤独を知って、優しくなれることもきっとある。

そしてもう一つ、私の背中を押してくれたこと。大学時代からの大好きな友人は一人っ子だ。彼女は芯が強くて優しい。信じるべきは誰かの言葉ではなく、彼女の存在だと気づいた。

答えを出すまでに数年かかってしまったけど、やっと「廃棄を希望」に丸をつけることができた。

私たちは3人でこれからも進んでいく。

スリランカ

いつか私と夫がいなくなって、娘がまるで出口がないように感じてしまう出来事に出会ったとき。そんなとき私たちの注いだ愛情が、彼女の立ち上がる糧となるよう、毎日めいっぱい愛したいと思う。

「ねえ、私のこと大好きでしょ?」といたずらっ子のような顔で聞いてくる娘。彼女への私の答えはいつだって変わらない、この先もずっと。

>>フォトギャラリーはこちら ※写真をクリックすると、大きな画像とキャプションが表示されます。

PROFILE

石野明子

2003年、大学卒業後、新聞社の契約フォトグラファーを経て06年からフリーに。13年~文化服装学院にて非常勤講師。17年2月、スリランカ、コロンボに移住して、写真館STUDIO FORTをオープン。大好きなスリランカの発展に貢献したいと、その魅力を伝える活動を続けている。2019年4月にイカロス出版よりガイドブック「五感でたのしむ! 輝きの島スリランカへ」(税込み1760円)が出版された。

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December 14, 2020 at 09:26AM
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