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谷亮子「なぜ私はあの時『最高でも金、最低でも金』をサラリと言えたのか」 悔しさから始まった私の五輪 - PRESIDENT Online

2020/03/14 11:00

PRESIDENT 2020年2月14日号

2度の銀メダルで思考を一新

私のオリンピックは、“銀メダル”から始まっています。初出場は、16歳のときのバルセロナ大会です。オリンピックは、子どものころから憧れてきた舞台。金メダルを期待されて、私自身もその期待に応えようと臨みました。しかし、決勝でフランスのセシル・ノバック選手に敗れて銀メダルでした。

谷 亮子氏

谷 亮子氏

悔しかったですよ。試合では私が終始攻めましたが、棒立ちになったところをすくわれて、お尻をついてしまった。それが結局、決勝ポイントに。勝つための試合に徹していたノバック選手にわずかに及びませんでした。

あのとき、こう動いていれば、違う結果になったのではないか――。

次の大会までの4年間は負けた内容を精査し、次に活かすつもりでした。ところが、アトランタ大会も決勝で北朝鮮のケー・スンヒ選手に負けて銀メダルという結果になりました。思考をガラリと変えたのは、この敗戦からです。わずかとも思える差での2度の銀メダルが、私の柔道を一新しました。

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March 14, 2020 at 09:08AM
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