全身タトゥーの元ヤンママ・アッコさん(27)が子育てで感じたことをつづるこの連載には毎回、ネット上で賛否両論、様々な意見が寄せられています。夫婦で反響をチェックする中で、アッコさんは中学時代のある出来事を思い出したのだそう。読売新聞オンラインの人気連載「元ヤン子育て日記@TOKYO」、今回のテーマは、ネットの書き込みとネットでコラムを書く理由。
「お~、今回も言われとるな」
つい先日、私の記事がネット配信された日の夜のこと。仕事を終えて帰宅した夫はスマホをいじりながら、ニヤリと笑った。
この連載は今年1月に始まったから、準備の期間を含めるとだいたい1年ほどがたったことになる。これまでどんな仕事でも1年と持たなかった私が、「文章を書く仕事」をこんなに続けることができるなんて、1年前の私からすれば想像もできなかったことだ。
連載が始まったと同時に、夫は「エゴサ(=エゴサーチ)の鬼」と化した。ツイッターやフェイスブックはもちろん、ヤフーニュースに配信された連載に対するコメントはもちろん、そのコメントした人が他のどんな記事にどんなコメントしたかまで、チェックしている。
夫が私のところに持ってくるのは大体、厳しい意見ばかりだ。ざっくり言うと「この経歴はヤバイ」「記事の中身がなさ過ぎ」「タトゥーを入れたのは自己責任」「子どもの将来が不安」などなど。
う~ん。私だって、ちょっとした思いつきで始まったようなこのコラムが何でいまだに続いているのかよく分かっていないし、タトゥーを入れて、今頃になって何かと面倒な思いをしているのも自分の責任だと思っている。もちろん子どもの将来なんて不安だらけだ。
こうした厳しいご指摘。最近は夫婦でコメントを見て、「おー、こういう意見もあるのか」と笑うことも増えたけれど、連載を始めたばかりのころは、少しへこむこともあった。
かつてラッパーを夢見ていた夫が突然、ダミ声で歌い出したこともあったな。
「『でも、俺は俺だけさ、常忘れねぇ 人は人 それはそれ』 ヘイヨー!」
(「OZROSAURUSの「ON AND ON」のワンフレーズ)
ヘイヨーじゃねぇだろ。
初めて携帯を持ったのは、中学1年生の時だった。
「ほかの子も持っているから携帯を買って!」「持っていないと仲間外れにされる!」とあの手この手で両親に交渉してようやく買ってもらった。
当時、持っていたのはガラケーだったからSNSじゃなく、主な用途は電話とメールだった。
その頃はヤンキーでもなかったし、携帯をカバンに忍ばせ、ワクワクしながら学校に行った。友達にメアドを渡し、ひっきりなしに受信するメールの返信に夢中になり、携帯が手放せなくなったことを覚えている。
「ご飯の時に携帯を触るのは、やめなさい!」って、お父さんに叱られてけんかになったこともあったけど、とにかく、私はちょっと大人になった気分で、うれしくて仕方がなかった。
当時、携帯を持っている子の間で流行していたのが「裏掲示板」だ。
サイトには県内の中学校名がズラーっと並んでいて、自分の中学をクリックするとフリー掲示板になっており、誰でも書き込むことができた。
当然、私もおもしろ半分でアクセスしたが、開いた瞬間、めちゃくちゃ後悔した。
「あいつブス」「うぜー」「学校来んなよ」「死ねば良いのに」
一文字一文字を目で追う度に、血の気が引いていく。
まさか自分の悪口が書かれているなんて思いもしなかったのだ。
「何か悪いことをしただろうか…。誰が書いたんだろう」
学校での振る舞いを振り返ってみても、自分では全く見当がつかない。とりあえず学校へ行くけど、全員が敵のように見えてくる。だけど、疑心暗鬼で心が千々に乱れる私と対照的に、まわりの態度はいつも通りでほとんど変わらない。
最初は「気にすることでもないか!」と思っていたけど、私への悪口は毎日のように更新されていく。見なきゃいいけど、一人でいると、裏掲示板のことが気になって、気が狂いそうになる。私は、自分に罵倒が浴びせられる掲示板を毎日、開き、その度に傷ついた。
いじめは徐々に掲示板から現実世界に移ってきた。私物を捨てられたり、通りすがりに「死ね」とか「ブス」と笑いながら言われたり。私は、「自分なんて価値はないんだ」とか、「生きてる意味ってあるのかな」とか、毎日考えながら、「あいつらに、負けたくない」という一心だけで学校に通い続けた。
根気が勝ったのか、約1年続いた「いじめ」は次第になくなり、掲示板への書き込みは突然、別の子がターゲットに変わった。きっかけが何だったのか、いまだに分からない。
それまでのことがウソのように、私をいじめていた子たちは、普通に話しかけてくるようになった。「今日みんなで集まるからおいでよ!」
なんだかバカバカしくなって、面倒だなって思った。
「こいつら全員不幸になればいいのに」って心底思った。
そして、私は学校に行くのをやめた。
その後、私がタトゥーだらけのヤンキーの道を歩んだのはまさに「自己責任」。自分で選んで決めたこと。だけど、どんなに人を傷つけても、それを忘れて、何事もなかったように生きていける人がたくさんいるって教えられたことで、人といるのが面倒くさくなったのは確かだ。
「みんな“何者”かになりたいんだよ」
夫は、私の連載に限らず、ヤフーニュースのコメント欄を見ながら、よくこんなことを言う。
「世の中の大半の人は、『自分はこう思う』って意見しても、『は?』って言われてオシマイなわけ。学校でも会社でもそうじゃない? だけど、ネットはリアルな世界での地位とか立場とか関係なく、自分の本音を書ける。共感する人が増えるとうれしい、って気持ちはちょっと分かるな。もちろん、人を傷つけちゃダメだけど」
う~ん、そんなものかなぁ。
あの時、あの子たちはどんな気持ちで裏掲示板に悪口を書き込んでいたんだろう。ほかの子たちの「そうだよね。私もアッコのこと、大嫌い」という仲間うちの共感が必要だったのだろうか。小さな田舎町の小さな学校で、まわりの人と言えば、家族と学校の友達と先生だけ。いまから思えば、あまりに狭く窮屈な世界だ。
私の人生はこれまでに書いてきたとおり。結局、夜の街を転々とし、破れかぶれな青春時代を過ごした。
ただ、年を重ねるごとに自分の世界はどんどん広がっていった。学校から街へ、昼から夜へ――。嫌なヤツとは無理して付き合わなくてもよくなったし、仕事で嫌なことがあれば辞めて別に探せばいいと思うようになった。次第にあの悪口たちも遠い過去にも思えるようになった。もちろん、傷は残っているけれど。
連載には「うれしい反応」もある。「幸せにはいろんな形がある」「何気にめちゃくちゃ良い話」「ザ・リアル・ヒップホップ」(←本当にあった)――。
私の全身のタトゥーは簡単に消せないし、消したとしても傷は残る。私がカッとなりやすく、何事も長続きしない性格なのも、ヤンキーであった過去も変わらない。そういう人間が「イヤ」という人もたくさんいると思う。
でも、そんな自分自身を、自分がほんの少し好きになれて、私が経験して感じたことをちょっとでも面白いって思ってくれる人がいるなら、自分の過去にも意味を見いだせるような気がしている。
何事も長続きしなかった私が、コラムを続けられている理由。もしかしたら、そんなところにあるのかもしれない。
筆者(アッコさん)プロフィル
1993年生まれの27歳。中部地方出身。中学時代は「学校がつまらない」と授業をサボり、成績はオール1。その後、私立の専修学校に進学するも不真面目な素行に加え、成績もふるわず、ヤンキーへの道一直線。卒業後、一度は医療事務の仕事に就いたが、遊びたい気持ちを抑えられず退職。職を転々としていたところ、会社勤めをする夫と出会う。都内で夫と2歳の長女と3人暮らし。
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November 12, 2020 at 08:05AM
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