◇16日 巨人7-6阪神(東京ドーム)
早々と優勝マジックを点灯させた巨人。そのベンチで重要な役割を果たしてきた元木大介ヘッドコーチ(48)が16日に虫垂炎で“一時離脱”した。空位となった参謀役。代役を置かなくても構わないし、吉村禎章作戦コーチや「野手総合」の肩書がある石井琢朗コーチ(同じ肩書の後藤コーチは攻撃時に三塁ベースコーチ)らがその役を担ってもいい。しかし、16日の阪神戦で「ヘッドコーチ代行」を務めたのは阿部慎之助2軍監督(41)だった。
この人事で思い出すことがある。原辰徳監督は2000年からの2シーズン、巨人のヘッドコーチを任された。帝王学の伝授―。当時の長嶋茂雄監督(現・終身名誉監督)は、近い将来の“禅譲”に備え、40代に入ったばかりの後継最有力候補を傍らに置き、「巨人軍の監督とは」を学ばせた。
後継指揮官となった原監督は通算3期、14年目を迎え、球団歴代最多の1071勝(16日時点)を記録。7月4日に監督勝利数(1034勝)で長嶋政権に並んだ際、その恩師は球団を通じたコメントの中で当時を振り返っている。「『自分の後は原しかいない』『将来のジャイアンツ魂を受け継ぐことが出来るのは原しかいない』と考え、2001年後半戦から最終戦までヘッドコーチだった彼に、こっそり指揮を執らせ、実戦経験を積ませたことは、私の心の中ではひそかな自慢となっています」
ヘッドコーチ体験が原監督にとって貴重な準備期間だったことは間違いない。長嶋監督は試合に入り込むと、意図しないサインの動きを無意識に出してしまうことがあったらしい。参謀役は指揮官の動作だけではなく、心の中も読まないといけない。ヘッドコーチ時代の原監督は単なる伝達役ではなく、監督の分身でなければならなかったということだ。
今回、緊急措置として阿部2軍監督をヘッドコーチ代行に置いた原監督は「最善の策という中でこういう形になった」と説明した。この“人事”に深い意図が含まれているのかどうかは分からない。ただ、実際に監督の間近で試合を動かす当事者になる経験は、「阿部監督」が誕生したときに至上の財産として生かされるはずだ。
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